アソス
アソスの歴史は紀元前7世紀頃レスボス島の住民が植民・定住して始まった。紀元前6世紀から4世紀半ばのあいだ、リディア人やペルシア人、フィリギアの支配下にあった。紀元前350年にはプラトンの弟子であり宦官であったヘルミアスがアソスを統治し始めた。ヘルミアスはアリストテレスをアソスに招待し、プラトンが説いた理想都市国家の実現のため、哲学学校などを創設した。ヘルミアスの姪と結婚したアリストテレスは紀元前347-345年の間この地に住み、当時アソスはギリシャ哲学において重要な都市となった。ヘルミアスの死後、アソスは一時ペルシアに支配されたが、アレキサンダー大王によって解放された。紀元前33年には、ペルガモン王国とともにローマ帝国の属国となった。ビザンツ時代にアソスはマフラミオンと呼ばれるようになり、今日のアソスの別名であるベフラムはここから派生した。
1330年にはオスマン帝国の支配下に入り、その後長年の間古代都市アソスは忘れられたかのようだった。1880年にアメリカ人建築家フランシス・ベーコンがこの地を訪れた際アソスは再発見され、翌年にはボストンの古美術研究所の援助で発掘作業が開始された。
現在、アソスは古い石造りの建物とかわいらしい港が特徴の町である。高台にあるアクロポリスの遺跡からはエドレミット湾とレスボス島の眺めが素晴らしい。またここからアソス港を見下ろすと、海に沈んだ古代の港がはっきりと見ることができる。この港は昔レスボス島とアソスを行き来する船や人々で賑わっていた。
パムッカレ温泉

昔と変わらず、今日でもパムッカレの温泉は有名。
パムッカレから少し離れたところにあるカラハユト村では、クルムズ・ス(赤い水)と呼ばれる鉄分を多く含んだ温泉がある。パムッカレから湧き出る温泉水は約35度だが、カラハユトの温泉は55度と少し熱め。この温泉水を利用した多くのホテルが周辺に点在する。
パムッカレの温泉水にまつわる言い伝えとして、次のような話がある。
その昔、心は優しいが大変醜い娘がパムッカレに住んでいた。同年代の娘たちは皆結婚したのに、この娘はあまりにも醜かったため誰からも相手にされなかった。ある日娘は悩んだ末、パムッカレの石灰棚から身を投じた。そこを通りかかった青年は水の中で横たわっている娘を助けに駆け寄った。抱き起こしてみると今まで見たこともないような美しさに驚いた青年は、意識を取り戻した娘にプロポーズした。「私はこんなに醜いのに」と言った娘に、青年は「君のような美しい人はどこにもいない」と答え、水鏡で自分を見るように促すと、娘は本当に自分の醜さが消えたのにびっくりした。結婚した2人は末永く幸せに暮らした。
この話から、パムッカレの温泉が美容にいいということがわかる・・・
ダルヤン

ダリヤンは比較的あまり知られていないがその周辺には古代遺跡カウノス、イズトゥズビーチ、キョイジェイズ湖など多くの見どころがある。
ダリヤンが知られるようになったのは、1986年にイズトゥズビーチに高級ホテルの建設に反対した自然保護者とホテル側の「カレッタカレッタ論争」が起こったときである。カレッタカレッタとは毎年このビーチに産卵のためやってくるウミガメのこと。結局この論争は自然保護者の勝利に終わり、ホテル建設計画は撤回された。毎年5月と10月の産卵の時期にはビーチは注意深く保護されている。
町を流れるダルヤン川の東岸にはホテルやペンション、レストランなどが並び、西岸には4世紀の石墓が見える。石墓はフェティエにあるアミンタスの墓に似ており、イオニア式の円柱を使った神殿風である。夜にはきれいにライトアップされる。
プリエネ
プリエネの公会議場プリエネ遺跡遺跡の中央通りを行くと最初に見えるのはトルコ国内でも最もきれいに残されている市公会堂。
演説者のパーツや犠牲祭壇などがある。市公会堂の東にある行政用オフィス(プリタネイオン)のなかには重要役人が使用していた食堂がある。
ひとつ下のテラスにはゼウス神殿とアゴラ、神聖なるストアがある。当時イオニア式やドーリア式の柱が優美に並んでいたが、現在はひざの高さほどの遺跡しか残されていない。しかしかつてはここが都市の中心であったと考えられる。下方にはジムナシウムとスタジアムが見えるが、夏には日陰もなく上り下りが多少困難なのであまり観光客が訪れない場所である。ジムナシウムの近くには競技者が使っていた浴槽跡があり、側溝や水が吹き出ていたライオンの頭像も見られる。スタジアムには陸上競技のスタート地点までが残されている。
プリエネの住宅地は中央通りの西側にあった。家のつくりはまず細い通路が中庭へと続き、中庭は様々な部屋で取り囲まれていた。また階段も発見されたことから、2階建ての家もあったことがわかる。
